犯罪者になったアーティスト作品の販売自粛への雑感

 反社に金を送ることと作品を売ることで利益を得ることは違うだろうと指摘があったので少し考えてみた。

 その前提がその通りなのは疑いようもないけど、今回の件ではそれは箇条書きマジックみたいなものだと私は思うし、流れでみれば少なくとも各企業の反射的な販売自粛判断は適切だし当然だと思う。

 だからこそ販売自粛は過剰だと憤るアーティスト方の意識はあまりに薬物に対する危険性や薬物を売ることで利益を得ているものに対する考えが甘いのではないかと考える。

 

 これは私の中の理屈を言語化する事で冷静になりたいから書いた。

 

 結論としては「作品に罪がないのはその通りだが、だからといって反社会的集団に資金提供していた人に利益を渡すことになるのは問題だし、だからといって著作者の許諾なしに売上の取り分を渡さない契約にするのはもっと言語道断。」

 

私が感情的になってしまう理由は「薬物をやってもあいつならやりかねないしそれくらいなら許すみたいな業界の意識の低さと、更生や復帰をさせろといいながらそもそも薬物に陥れた反社会的勢力に批判的にならない問題意識のなさ」

 

 

 犯罪者になったアーティストの作品の本来犯罪者の取り分を全て薬物更生施設に寄付しますとかなら社会的に許されるだろうけど、そんなのレーベルや配信会社が勝手に決めていいわけない。

 もしするなら当然契約者である著作者と話し合わなければならないし、別に著作者はそんな契約にする必要もない。

 であればこそ企業は利益が入らないように自粛し封鎖するのは当然だと思う。

 

 これは放送ごとに金額としての利益が入らない映像作品などでもそうだと思ってる。作品にでるということは俳優などの芸能を生業にする人にとって正に顔を売るということであり、自分自身の資産価値を高めることに繋がるためそのようなことに利用される訳にはいかないのかなと思う。

これはちょっと無理筋かな。

 

 私の考えにすぎないが薬物から離れ、反社に資金提供しないと判断できない限り企業は自粛といった経済的な封鎖を行うべきだし、その判断ができたときに販売再開していいと思う。

 作品に罪はないがその作品を売ることで犯罪者に利益が入るのが問題だと思っている。

 

 麻薬を買うというのは、弱者を食い物にする反社会的集団に対して自分の違法な楽しみのために資金提供することと言い換えることができる。

 そしてそのこと自体も心身ともに破壊する行為であり食い物にされかねない行為だ。

 

はてなでは弱者が情報商材屋に食い物にされてるのをみると憤るし、そういった情報商材屋を支援している人を唾棄してるけど。

なんでそれより酷いことしてる奴を擁護できるのかな。結局人は好き嫌いでしか語れないんだよな。

私も岡村靖幸なんか少なくとも表舞台に立つべき人間じゃねえと思ってるよ。社会復帰と芸能活動は別次元だろうと思っちゃうし。頭かてえなー。

 

だからこそニュートラルに語ろうとする人は本当に尊いことだと思う。