底辺ってなんだよおおお!
浅瀬にいる生物もいれば深海に生息する魚だっているじゃん!!
そりゃ深海魚の中にも色鮮やかな体色になって太陽光も降り注ぐ明るい珊瑚礁に生息したい魚もいると思うよ!
重い水圧と光届かぬ暗闇の深海で醜いと言われるような外見してる深海魚だけどさ!その環境で適応して生きてるわけじゃん!
その環境から抜け出して適応する種もいるけどさ!その環境が良いと考える種もいるでしょ!!
確か浅瀬の方が餌も豊富だし生態系も豊かだけどさ!私も憧れるしそっちに行きたいけどさ!!
ふと振り返って深いとこ見るとさ同じ世代が立派な巣をつくって子供育ててんの!覚悟決めてその中で幸せをつかみ取ってんの!その姿は私には否定できないの!
最低限な文化的生活の向上のために深海の過酷な環境を改善してあげようとするのはとっても大事だと思う!深海の方々がなんでそんな先を見ない生き方を続けてるのかわからないことも多々ある!
でも理解できなくて粗野だから底辺っていいかたはやっぱ不味い!
話を大きくしちゃうとさ!こんな意識の人がいるなかで外洋の深海魚をどんどん呼ぼうとする浅瀬の人はほんとに浅いっておもうぜ!今うまいこといった!
底辺という強い言葉でそこに所属する人々を定義してしまうのはとても怖い。自虐的に言ってるならまだしも、そこにいない人やそこから抜け出したと考える人が侮蔑的であろうがなかろうがそのように表現してしまうことが。
とある集団を社会の底辺だと言い切ってしまえることが、いつかそこまで潜ってしまうかもしれない自分を追い込んでしまいそうで怖い。
かいておもったけど自分の自信が底辺なだけだわ!!筋トレして自信つーけよ!
アイドルマスター シンデレラガールズコンプリートアニメファンブックに関して
読んだ。この数年で久々にドハマリしたシリーズの一区切りがついた感じだ。
感想
・アニメファンブック
・絵コンテ集
・お疲れさま本
総括
古いんだけど古参じゃない。中途半端なネット世代。
インソールを買った
自分の仕事は基本的に自販機補充したり管理したり新しく置いてくれ!って営業してるんですけどね、まあ結構な重さの商品をケースで運んだりカゴに集めて補充するんですよ。
店員さんによるとシダスが若干細く、Ba2neが少し幅広とのこと。
結局バネインソールのベーシックってやつを買った。靴のサイズが26.5センチなのでMサイズ買ったんだけどちょっと小さかった。買うならLサイズで調整した方がいい。
小さかったこともあってもしかしたら微妙かなと思っていたがいい感じな気がする。ていうかインソール大事なんだなって気になった。まあまだそんなに使ってもいないけど。
次回も買おうと思ったので次はちゃんとサイズを合わせようと思う。これ以外になんか姿勢を良くしたり腰を守るのってなるとサポーターになってくるんだろうか。うーむ。
お茶の魅力
ペットボトルのお茶の魅力ってやっぱり健康とかカロリー面が一番なのかな
ラノベが馬鹿にされるのは見た目の第一印象だよ
ラノベが馬鹿にされたり低俗だと思われている理由について記事を書いている人がいたので自分も書く。
ただオタクがラノベを馬鹿にする理由というよりアニメ・マンガ文化にあまり触らない一般人のイメージ形成の理由を考える。
結論としては表紙絵がアニメ的な絵柄だから。
というかほんとに見た目の第一印象だけで語られてると思う。だって中身読んでないのにいい大人が読むものじゃないって印象を持っている人多い。
第一印象が見た目で決まるのは※ただしイケメンに限るみたいな言葉もあるし就活セミナーとかでも鬱陶しいくらいに聞かされる。
そしてアニメ絵ってそれだけでなぜか低俗扱いされるよ。
twitterでもアニメアイコンってだけで人格攻撃する人もいるんだからホント見た目って大事。
しかも世間の言うアニメ絵の範囲っておおざっぱで広い。オタクっぽいていうフワフワした括りで線引されてしまう。でも世界名作劇場的な絵柄ならまあセーフみたいな感じ。
イラストの力っていうか装丁の力は本当に大きくて仮に
ラノベがバカにされる理由はジャンル分けが雑ゆえに、低俗なものが悪目立ちしてしまうから
この記事で戦犯とされている「俺妹」のイラストレーターと装丁の担当が寄藤文平だったら多分パッとタイトルと表紙見てなんかのエッセイと勘違いしてるわ。
例えば「僕は友達が少ない」の表紙が
上杉忠弘 : 新潮クレスト・ブックス | 作品 | 東京イラストレーターズソサエティ (TIS)
これで明朝体でタイトル書かれてたらちょっと小洒落た女性向けみたいに見える。
「魔弾の王と戦姫」のイラスト担当が長野剛だったらごりごりの架空戦記ものって絶対思う。いや合ってるんだけど。
硬派とか言ってるガガガも傍から見れば他のレーベルと何も印象は変わらない。中身を見ればレーベルどころか作家一人ひとりの作風が違うのはわかるけどそもそも読まないんだ。だから表紙の第一印象で子供向けのエンタメ小説で大人が見るに耐えないものと思われる。
もちろんこれはライトノベル自体の歴史の浅さも理由だと考えられる。ラノベを読むようになった小中高生が増えて成長すれば偏見を持つ人は少しずつ減っていくと思われる。庶民の娯楽として発症した歌舞伎が今では重要無形文化財だ。いつかは格式高い文化になるかもしれない。
世間から見て許される表紙としたらミミズクと夜の王なんかは許されるんじゃないだろうか。今の時点ではライトノベルレーベルの読者のターゲティングはかなり狭い。メディアワークス文庫みたいなレーベルで層を増やそうとしているんだと思う。馬鹿にされるのがいやなら広く一般に偏見を持たれにくいイラストレーターやデザイナーに表紙を頼むしかないんじゃないだろうか。一般紙で活躍してるような中村佑介や上田三根子とかなら偏見で見られることはない。手にとってもらえてから初めて中身を論じてもらえるようになるんだろう。それは今のメインターゲットから離れていくことでもあるのだろうけど。
感受性の低さへの焦りを感じること
ここ一年間なにかを表現することがどんどん減っている……
また情報や知識の収集、入力の量が格段に減っている。
もちろん外からの情報は山ほどあるんだけどそれをしっかりと見つめていない。
それらを処理できていない自分の感受性の低さに腹が立つ。
最近絵を描きたいと思ってスケッチブック持っても何も描きたいモチーフが出てこない。
以前なら展覧会に行ったり小説を読んだりして心のガソリンを足したものだが今は全然やれていない。
今年も面白い展覧会にはいくつか行った。だまし絵展とか最高に面白かった。でもあんな表現をしたいとは思えなかった。
今までは「この絵面白いな、こんな絵描きたい」だった。
今は「この絵面白いな」で止まってしまう。
少しでも何とかしたい。そのためにも描くことの習慣付けをしたい。
周りを見る観察眼をもっと高めていきたい。
今年の一つの目標にしとこう。